Monday, August 21, 2006

 

小田原(神奈川唯一の城下町)の写真




Photo:UP       Miyukinohama(odawara seaside) 御幸の浜
MIDDLE  Lunch at Japanese Restraurant(400years ago open )
BOTTOM OdawaraJyuku resthouse(old japanese shop) 小田原宿交流館

詳細は下記の文をご覧下さい。

 

小田原(神奈川唯一の城下町で宿場町)紹介

小田原は神奈川県西部の湘南と隣接の城下町。
北条五代の関東差配の中心地。
秀吉に攻められて滅亡。その責任を負って自害させられた2名の北条氏の墓が
駅近くの繁華街入り口にある。

江戸時代は大久保氏と稲葉氏などの城下町で今の城はこの当時のもの。
そして江戸時代は武士を中心とした参勤交代の大宿場町でした。

箱根は当時はクネクネとした石畳が続き、大名達が旅をしていた。
その当時の宿の一つで昼の食事を出していた店が今も食堂を続けています。

国道1号線(旧東海道)に面して店がある。
「小田原宿なりわい交流館」という古い二階屋の西100m位先に
「400年続く食堂・・・」という看板あり。

うなぎがメインも、昼は840円の定食あり。
茶ソバと小丼(天丼、他)でこの茶ソバが美味い。
ノンビリとした出方なので急がない人にお奨め。車も止められる。
幼児と一緒の食事などはノンビリ出来てよろしい。

この直ぐ先を曲がり海岸に出れる。天皇が宿泊した時に訪れた浜なので
『御幸の浜』という。有料道路下に市営の海の家と無料シャワーあり。
急に深くなるので浮き輪が居るけど、綺麗な海で穏やかな日が多い。

国道1号を西に進んだ直ぐ先に寛永10年創業の薬局『済生堂薬局小西本店』
が木造のレトロな雰囲気で建つ。
えらいもんだ!家業を続けるのが難しい時代に存続しているのが凄い。

この先の漁港よりには江戸時代の城下町の面影あり。お散歩に向く。
素敵な建物の『小田原文学館』(駐車場あり)は見る価値あり。

この先を行くと早川漁港。漁港入り口の食堂数軒あり、悪くなさそう。
漁港事務所の2階の食堂は素朴で豪快。
車止められるのでお好きな方はどうぞ!

街中には、レトロなビルで美しい「ろうきん」の隣に木造2階が美しい「だるま」がある。
天丼1000円はなかなか美味い。
大正時代の建物らしく食堂内部の雰囲気がよろしい。

そこから近い国道1号沿い『江嶋』は和紙とお茶の店。立派な建物が素晴らしい。

お城は城内高校(旧女子校)を移設併合してから急ピッチで江戸時代の面影を取り戻し
つつある。現在も枡形の門を建造中。
(城の報告はまた別にします。)

Saturday, August 12, 2006

 

箱根ベーカリーと箱根湯本温泉





小田原駅の新幹線口の前に「箱根ベーカリー」の売店と軽食ブースがある。
ここのパンは箱根湯本の「箱根湯本ホテル」内のベーカリー本店で焼いている。

バケット300円。噛み締めると小麦の香りがして美味い。
素朴な味わいでファンが多い。

さてここで1000円以上パンを購入すると「箱根湯本ホテルの温泉:平日無料券」をくれる。
8月10日娘とカミサンが津山市(岡山県北部の城下町)に行くので送りに行く。

津山にはこの手の店は少ないので、デニッシュや名物のアンパン(120円)やバタールなど
買ってこの無料券を貰う。
熱海か伊東(茅ヶ崎からは東京へ行くのと同料金:980円)へ送った後は行こう!と考えていた
私は「箱根湯本へ温泉に入りに行こう」と方針を変える。

午前は10時45分、午後は1時半頃ともう1本小田原駅北口から無料バスがある。
この朝一番の無料バスに乗り箱根湯本の「箱根湯本ホテル別館」に行く。

競輪で駅前に長い行列があつたが、このバスには4人しか乗らない。
約20分の乗車で箱根の山中の細い坂道の登り、ホテル別館に付く。

5層下の渓谷沿いに大浴場と露天風呂がある。
上の写真:最上段が露天風呂。砂防堰堤が滝になっていて良い景観。
最下段の写真が大浴場。広くて気持ち良い。
源泉は6箇所から引いている。
単純泉で無色透明ですが少し塩味を感じる。
ユルユルとした気分になれたのが良かった。

この渓谷の反対側に本館がある。そことの連絡廊下の下に「東海道旧道の石畳」がある。
写真は3枚目のもの。

江戸時代の東海道であり、うねうねと大周りをしながらこの石畳が続く。
江戸(現在の東京)への防衛線が箱根であり、防衛しやすいように道を作っていた。

帰りは本館から出て右に下り15分ほどで、湯本駅に出れる。
たまたま駅までの無料バスがありそれに乗り湯本駅へ。

湯本と小田原駅までは300円(4駅)。
小田原は神奈川県ではただ一つの城下町。
北条氏が五代で滅び、江戸時代は大久保氏、稲葉氏などの城下町で大宿場町として栄えた。

現在城の復旧が盛んでかなり江戸時代の面影が出てきている。
現在も一つの枡形と門を建造中。

2枚目の写真は小田原の古風な建物(御茶販売)。

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